『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一:小学館)

かなり前に読みましたが、某所へ掲載した僕が書いたレビューを加筆転載。

この作品は駄作であると思う。
もちろん素人の書く文章よりは普通に巧いとは思うが
売上や話題性と作品の完成度があまりにも不釣合いであると思う。
具体的にいえば、この程度の作品が100万部売れるという事実は
丸っきり話題性だけの産物ではないかということである。
片山氏の作品はこれしか読んでないので
的外れになるかもしれないが批判させてもらう。

まず、付き合ってた女の子が白血病になるという設定はベタもいいところであり、
全く真新しさがない。
もちろん、真新しさがないだけで駄作と決め付けるわけではないが
この作品を読んで衝撃的だったという感想を持った人は話題性に踊らされているのではあるまいか。
これに泣いたという感想を持った人も、この手の小説を読めば泣ける素地を持った人であり、
この作品が泣かせに優れた作品であるわけではなく、
それはこの手の死別系恋愛小説を読んだときの当然の反応であると思う。

次に、この作品は文章が下手である。
地の文が長ったらしいし、微妙な台詞の多さが目に付く。
わかりやすい、読みやすいという意見は台詞が多いことから引き起こされるものであって
実は台詞以外の部分に致命的ないいまわしの悪さがある。
これによって文章のテンポが著しく損なわれているように思う。
また、これは個人的な感想になるが、
恋愛小説に必要な文章のみずみずしさ、艶というようなものが全く感じられないのが気になった。
一様にベターっとした感じを受けてしまう。
読者を惹き込んで泣かせるにはあまりに幼稚な文章ではないかと思う。
正直言って文章が死んでいる。

さらに、タイトルについて。
これがSF作品の『世界の中心で愛を叫んだけもの』からとられたものであるのは周知の事実である。
これはインパクトのある題がよかったという編集の方針であるらしいが
引用としてあまりに低レベルではないか?
世界の中心で愛を叫んだけもの』をつかったタイトルをつけたもので有名なものに、
新世紀エヴァンゲリオンの最終話『世界の中心でアイを叫んだけもの』がある。
これは”アイ”をトリプルミーニングにしてあり、
タイトルと内容の絡みとして引用がぴったりハマっており中々秀逸である(詳細を語り出すと論点がずれるので省略するが)。
一方この作品は話題性のためだけにタイトルを引用しているのではあるまいか。
たしかに主人公は世界の中心で愛を叫んではいるが深みを感じさせるものではなく
安易にパクっただけであるという印象が持たれてしまう。

最後にひとつだけ私が感心したことがあるが、それは表紙である。
あの表紙は清涼感や虚脱感を巧く表現しており
本文とのリンクもきっちりなされているわけで、
名作と呼んで差し支えない表紙であると思う。

とりとめがなくなってしまったが、私が言いたいのは、
”話題になっているみたいだけどこれより秀逸な恋愛小説はいっぱいあるよ。
 これを読んで面白いと思った人は他のを読めばもっと泣けること間違いなしだし、
 これが駄作だと思った人は恋愛小説は所詮この程度なんて思わないでね”
ということである。
柴咲コウの書評に騙されて買った人や話題性にのせられて買った人(特に普段恋愛小説を読まない人)に
この程度で満足して欲しくないのが本音であり、
また泣きながら一気に読んだ柴咲コウの経済効果に敬意を表するものである。
最後になるが、決してこの作品が悪いものだといいたいのではない。
ただ、この過剰なまでの売上と見比べるとどうしても作品が見劣りしてしまうということをいいたいだけなのだ。


…激しくアンチだな俺。。